町の写真館
どこの町にも必ず一軒はある、町の写真館。
遠い昔から、その町に住むさまざまな家族の思い出を今も撮り続けてる。
お宮参り、七五三、入学式に成人式、果ては結婚式と子供が大人へと成長する姿を、一枚の写真に収める。
家族みんなでおしゃれをして町の写真館のスクリーンの前に立った思い出は、その家族の財産でもある。
町の写真館は、そんな家族の歴史に花を添える存在である。
日本で最初の写真館は、上野彦馬が開業した「上野撮影局」です。
時代は幕末期から明治にかけて、日本の歴史が大きく変わる時代、長崎の地に写真館が登場しました。
今も現存する幕末に活躍した坂本龍馬、高杉晋作らの写真は、この「上野撮影局」で撮影されました。
また、時を同じくして、場所は横浜の地、横浜開港で湧く頃、画家であった下岡蓮杖が、江戸幕府との外交政策の為にアメリカから来日していたタウンゼント・ハリスの通訳ヘンリー・ヒュースケンや、アメリカ人写真師ウンシンから写真術を学び、横浜弁天通に写真館を開きました。
西の上野彦馬、東の下岡蓮杖と称され、この二人は、日本の写真術・営業写真館の草分け的な存在になっています。
幕末から写真館が登場し、明治になると写真が一般に広まり、この頃の撮影は、撮ったらすぐに現像しなければならなかったので、自店のスタジオ内、若しくは、近隣での撮影しかできませんでした。
ですから、写真業を営む者は、自店のスタジオを用意し、写真の撮影から現像、プリントまで全てを行っていました。
これが、写真館の始まりです。
1950年代以降、大判シートフィルムが普及し、1960年代になると物が豊かになり、人々は家族や旅行の思い出にスナップ写真を撮りだすようになりました。
白黒フィルムからその後時代はカラーフィルム全盛時代を迎え、1970年代には自動露出付のコンパクトカメラが大流行しました。
この時代の町の写真館の仕事は大きく2つに分かれていました。
匠の技で家族の記念日の記録を撮影する仕事と、個人が撮影したスナップ写真をほぼ自動化されたラボで現像する仕事。
高度経済成長に伴い、フィルムやカメラの普及と合わせ、家族写真の需要も急増しました。
デジタルカメラ全盛となった今の時代、カラープリンターの登場で自宅でも手軽に現像(プリント)できるようになりました。
カメラの低価格化・小型化・高性能化・自動化で、特別な機材や技術がなくても簡単に写真撮影が行えるようになった今の時代、町の写真館はどのようにして生き残ってゆくのだろうか?古典的な写真館の経営だけでは、これからどんどん苦しくなる傾向になるでしょう。
しかし、結婚式や卒業アルバムの撮影が素人写真で良しとする人は少ない。
結婚式場や学校などの契約ができれば充分に写真館の経営に見込みができます。
また、他社の子供を専門とするスタジオ写真館のように、撮影用の小物や衣装を多数揃えて営業することも充分見込みのある経営ができるのではないでしょうか。